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ブアメラの世界
Buah Merah World in Papua, Indonesia
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昭和42年長崎大学薬学部入学生
関東甲信越・東北地方4名の同窓会報告

半世紀前の1967年(昭和42年)、長崎大学薬学部の昭和町のキャンパスに現れた将来を嘱望された4人が2016年10月21日信州安曇野に集合。
一人は東京、二人は東日本大震災で被害を受けた福島県郡山市より、残る1名は信州安曇の主。

  東京の人:岡村建彦 (昭和42年入学、46年卒業)
  郡山の人:桐山盛夫 (昭和42年入学、46年卒業)
       町田邦夫 (昭和42年入学、46年卒業)
  安曇野の人:西垣敏明(昭和42年入学、47年卒業)


  時折会う機会はあったものの、日本の薬の普及に貢献した4名が移動に会することは初めてであり、まして2泊同室で温泉に入り、お互いの股間の一物を比較しながら、ゆっくり語らうことはほとんどなく、嬉しく懐かしい同窓会となった。

  10月21日、長野新幹線で長野駅に到着する3名を安曇野の主が出迎える予定であったが、高速道路長野道が事故のため閉鎖し、出迎えができなかった。よりによって、事故とは。
急遽、篠ノ井線で松本駅まで来て頂いた。

篠ノ井線の鈍行電車は、長野の歴史を物語る地籍がみられそれはそれなりに善いものであると、3名は語る。
彼の有名な川中島、万葉集に読まれている田毎の月、そしてスイッチ・バック式の鉄道などなど。


予定通り、12時30分に信州松本に到着。
既に新幹線の車中で一杯をやったそうで、松本の寒さは一向に気にならない様子。

安曇野の人の「娘に之が最後の車になるでしょう」とプレゼントされた安曇野を守るためにもハイブリッドのレクサスで昔話、想い出話をしながら、先ずは信州そばの野麦路で昼食。信州の冷酒を飲みながら、期待に反して不味かった蕎麦を食う。

郡山の桐山が今回の幹事であり出納長。総て割り勘だそうだ。3万円徴収された。

酒を飲まない善い子の安曇野の人の案内で、安曇野の知る限りの観光地、大王農園わさび畑、荻原碌山美術館、岩崎ちひろ・トットちゃん美術館、鐘の鳴る丘を案内し、穂高温泉郷にある「山のたこ平」温泉宿に投宿。


全員でアルカリ温泉に入り、先ずは疲れを取るとともに、紅顔の美青年に変身。
アルカリ温泉は、確かに皮膚をすべすべにするとともに、変形性関節炎にも効能があり、飲んで胃腸の状態を改善する。



大王わさび園、黒沢明監督の映画のロケ地

大王わさび園。
わさび1本1000円として、合計いくらの収益になるかは、投資に熱心な東京の人が計算。
マンション経営より善いとの結論。


安曇野が生んだ名彫刻家、荻原碌山美術館。新宿中村屋の女将、黒光に恋焦がれながら結核で若くして逝去。

若き青年時代を取り戻し、告白できなかった
あの恋を、と誰かが言っていた



考えない労働者(???)



父親の故郷北安曇郡松川村の岩崎ちひろ美術館。


黒柳徹子の「とっとちゃん」を絵本にしたのが岩崎ちひろ。よって、本年とっとちゃん記念館が開所。

緑の丘の赤い屋根の金の鳴る丘。現在は最も凶悪犯の少年更生施設となっている。


豪華な夕食は勿論地酒と地焼酎を飲みながら、若き頃の思い出しても恥ずかしい各自の想い出話に花が咲く。
3人とも製薬会社で只酒と医者接待で鳴らしただけあり、酒に強い。
長崎大学薬学部の弥栄と4名の健康を祈って乾杯、万歳。


部屋に帰ってからは、64歳からギターを学び始めたというもっとも商才のある東京人のギターで昭和40年代の歌を高らかに謳う。
ギターの腕前あるいは美声が
小さく、我々の放歌は
ねぶか節になっていたであろう。
翌朝、隣の部屋のご夫妻に変な顔で挨拶された。

記念写真を撮影するは私。

3人ともスマートフォンは持たず、スマートフォンでの撮影経験も無いため、残念ながら私の写真はほとんどないか、ピンボケ。
こういう年代であることに驚愕するが、私だけ暇な証拠でもある。

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  幹事が手配した「山のたこ平」温泉旅館           ノンベーさん、又のおこしを           安曇野は夫婦和合の道祖神

10月22日、9時旅館を跡にして、信州りんご園を抜けて安曇野の人の豪邸へ。
64歳とはとても思えない我が愛妾がお出迎え。

 何年前かの写真


別れは惜しいが
レクサスで長野道、国道19号線を走り次の目的地の木曽路の奈良井宿へ。
安曇野の人は、40数年信州に住んでいながら奈良井宿を知らず、郡山の人に案内される。面目ない。

土曜日にも拘わらず、訪れるひとは少なく、
400年前の賑わいの情景が伝わってくる。
若き東京の人は、どれが置き屋か盛んに気にしている。
賢き郡山の人たちは、仲居さんが面倒をみてくれたのだと説明、納得する。


明治天皇陛下も行状され、その部屋を写真に収める。
10月23日が第39回目の結婚記念日の郡山の方は、お六櫛を記念のプレゼントとして購入する。
安曇野の人の長男は、結婚式の前日に生まれたため、自分の結婚記念日を忘れても記憶している。

信州に住んでいながら、初めての奈良井宿探索であった。
幹事に感謝です。

木曽路、中山道の宿場町、奈良井宿


次いで、木曽路から伊那谷に向かい、伊那名物のソースかつ丼を1時間待って昼飯とする。
ソースかつ丼は、伊那が発祥の地と信じているが、郡山にもあるそうだ。

名物ソースかつ丼
血糖値が高い郡山の人は二切れを東京の人にプレゼント


次いで、駒ヶ根の養銘酒の工場を見学する。
40年前にこの地に工場を移転したが、工場・機械設備ともよく管理・整備され、多くの工場見学者のコースとなっている。
13種の薬草を使用しているが、日本産は少ないと読んだ。
運転手は養銘酒の試飲はできず、新製品の健康飲料を頂くが化学物質で創られた代物であり、飲む気がしない。
養銘酒の創業者が嘆いているのではと思う。
養銘酒は、900mLで2,268円と医薬品第3類であるが、ノニジュースより安い。
1日47,000本の製造ラインがあるが、多くのファンがいるものの稼働率は低いように思われた。

新商品開発で生き残りをかけているようだ。
有る人曰く、10年同じ事だけを行っている企業は確実につぶれる、と。
思い出して身震いをした。

日本の伝統の薬用酒となっている養銘酒。観光バスで多くの年配者が訪れる。1本2300円と安曇野の人のノニジュースより安い。

養銘酒を後にして、駒ケ岳にロープウェイで登る。
ロープウェイに至るジグザグの細い道路、大型バスは難なくのぼる。
20分余りのバスの旅は、印象深いものであった。

ロープウェイは標高1500mの出発点から2612mの終点まで、7分30秒の快適な空の旅。
登り始めて雲の中に突入し、頂上は曇っていると覚悟したが、突然雲を抜けて桃源郷かと思わせる景色が現れる。
郡山の人も、東京の人も恐怖で声を発せず。

多くの滝、氷河によって削られて谷の自然を満喫するが、原生のヒノキのため紅葉は期待以下。
終点の気温は10度、風はなく心地よく、眼下に雲を眺め千畳敷を背景に記念撮影。
南アルプスも一望でき、中央と南アルプスの谷間に伊那谷、駒ヶ根の街が広がっている。

この地も初めての経験。

郡山の遊び人は二度目であり、彼の案内でこの中央アルプスに登る機会を与えられたのである。
下るバスではかもしかに遭遇する。
クマもサルなども自然と共生している。


信州駒ヶ根の駒ケ岳、千畳敷き

駒ケ岳が一望できる温泉宿に投宿。
年金で永住できる温泉旅館であった。
因みに費用は申込金380万円、毎月の管理費と食費が7万5千円。
温泉旅館は好適地に立地するも維持管理がされておらず、部屋の浴槽は使えず、暖房も作動しない。
決して永住する旅館ではない。

食後、温泉で再び紅顔の美青年に返る無駄な努力を行い、木曽の中乗さんと酔園を飲みながら歓談する。
ギター伴奏で放歌する事は止めて、東京人の幸せとは何かというテーマで昔に帰って議論。
片足を棺桶に突っ込んだ4名のテーマとはほど遠いが、東京の人は100歳まで生きるとか。

皆疲れたのか、昨日に続きノニジュースを飲んで熟睡。

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10月23日、信州駒ケ岳の麓の朝は静か。

暖房が効かない部屋であったが、東京の人の溢れる熱気で寒さを感じなく眠れ、噂に聞いていた山手線鉄道音より大きないびきを期待したが、全く聞こえず熟睡できた。

我が同窓生の朝は早い。
6時には起床してひと風呂浴び、東京の人は昨日に続いてギターを爪弾き、私の就寝を邪魔しないようにか
細い
声で何かをうなっている。
こんなに真面目な人だとは、学生時代には思わなかったが、40年の製薬会社の競争の波に揉まれたお方は1本筋が入っている。

次回の同窓会では、彼のギターに合わせて「真夜中のギター」が謳えそうだ。

6時半起床はきつい。
7時の朝食に合わせて支度をする。
朝食を取る習慣のない私だが、それでも出てきたものは礼儀で食べる努力をする。
それにしても三人は良く食べる。
血糖値が高い郡山の人、朝飯を抜いて1日2食で良いと思うが、食欲が良い。

ふと外を見ると、駒ケ岳のα−サルに先導された約30匹の集団が山を下りて、ホテルの隣の田の落ち穂の朝食を始めた。
喧嘩をしないように適度な間隔をあけて、しきりに小さな落ち穂を拾っている。
母ザルの尻にしがみつく子ザルが可愛い。
外に出て近くまでより、眼が合った母ザルは鋭い眼光を放ち、襲いかかってくるのではなく子ザルを抱いて逃げた(朝食時の争いを避けたのであろう)。

さて、8時にホテルを出発。
苔で有名な駒ヶ根の光善寺、全国的に名を知られている寒天パパには立ち寄らず、一路松本へ。
ハイブリッドのレクサスは今朝も快調。
諏訪湖にも行かず、朝のコーヒーをどこかのサービスエリアで取り、ホテルではできなかった朝便でスッキリ。

松本市内に入り先ず向かったのが旧開智小学校。
信州を教育県と呼ばせるの相応しい明治初期の開校で、明治天皇も行幸されている。

次いで、私がまだ
特別研究員として
籍を置く信州大学松本キャンパスへ。300円払って構内へ。
学生証は古くなっているので医学部基礎棟には入れず。
インドネシアからの留学生に電話するも起きたばかりで、我が同窓生に紹介できず。

次に向かったのが、大正、昭和の逸材を輩出した旧制松本高校。
木造建築は古き良き学びの雰囲気を残す、旧制高校として稀少な存在であり、今は市民の憩いの公園として整備されている。
校長室で教授陣が何か話しているが、浅間温泉の市丸姐さんとの色っぽい艶談か?


教育県長野県松本が誇る旧開智小学校

旧制松本高等学校
長崎大学薬学部元部長小林五郎教授も北杜生氏もここで大学受験を目指した


1967年長崎大学薬学部入学時の薬学部長は、薬化学
教室名物教授である小林五郎教授。
小林先生は、旧制松本高校出身で東大薬学部へ。
東京の人は小林教授の麻雀のお相手をすることによって、実績ある卒業論文なくして無事卒業。
私も、彼を助けるための4時半に薬化学教室に行き、教授とガラス器具を洗い、5時からの麻雀にお付き合いしたものだ。
教授
就職先の話をすると、松本は学問のムード・酒・温泉に優れ絶対に行くべきと。
後で聞くと製薬会社の専務と教授は、大学の同窓生。
小さな名も知れぬ製薬会社就職は私だけ。

ここで家族を幸せにする経済的な基盤の小ささで、他の3人とは今でも差がついてしまったのだ。
小林学部長憎しだが、教授は50代半ばでご逝去されてしまい、御礼のご挨拶もできなかった。

次いで、映画監督の山本嘉次朗氏が絶賛したという伝統ある「八百源でわさび漬を購入し、信州を同窓会に選んでくれた良き仲間の土産にした。
多分、美味かったと思うが、ワサビの善し悪しが解らない者にはその良さが理解できないであろう。
我が家は、八百源のワサビに決めている。

小さな古い店だが、我々と同じ年代の夫婦が秤売りで、折り箱に詰めてくれた。
女房曰く、非常に流行っている店だと。

勿論、松本は国宝松本城。
東京の人を除き訪れた事があり、天守閣には登らず、外から眺めるだけ。
何事も外から内を推測する方が趣向がある。

仲町は蔵の街。
郡山の糖尿病の御仁曰く、喜多方の蔵の街より素晴らしいと。

小布施に行けなったので、仲町にある竹風堂にて新くりのおこわごはんを食べる。
小奇麗な店であり、糖尿病の薬を飲もうとすると店員が気を利かせて水を持ってきた。
非常に気配りの良い店。
東京の人の努めるブラック企業とは雲泥の差である。

竹風堂の新くりおこわ

 


松本民芸家具は100年使用しても壊れず、味が出る
血糖値が高い郡山の人は、芥川賞を今なお目指しているが、ここの机を購入しても賞金でカバーできないので断念

食後は仲町をぶらぶらと歩き、東京の人が「長崎ぶらぶら節」ならぬ「松本ぶらら節」を作曲し、次回披露してくれるものと期待する。

当然、裕福な仲間には松本が誇る松本民芸家具博物館にお連れし、購入家具を選んで頂く。
どの家具も素晴らしい。
値段もニトリの家具とは桁が違う。
しばらくくつろぎ、結局持ち帰ることができないため、今回は購入せず。

工芸館の傍の蛙の縄手横町と四柱神社を見て頂くことを失念してしまった。
午後2時半の電車にて長野に向かわねばならないため、ここで同窓会は終了。

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4名が揃うのは、昭和45年あるいは46年の学生時代の時以来。
同窓会の場所を信州に選び、私に声をかけてくれるだけでも本望だったが、2泊同宿し希望に燃えていた青春時代の一頁を開き、改めて長崎時代を思い出させてくれた。
大いに学友に感謝する。

惜しむらくは、我が同窓生はガラ系族。
スマートフォンの扱いも知らない、標準的な団塊の世代であり、私のスマートフォンで写真撮影もできない。
よって、この同窓会アルバムには私の写真が少ない。残念だ。

しかし、評価できるのは三人とも喫煙をしない、止めている。
学生の時、裕福な三人はたっぷりと新しい煙草をふかしていたのにである。
私は、煙草が買えずシケモクを吸っていたものだ。
その反動がいま現れているのだろう。

お互いの健康長寿を祈る。
ブアメラ、ノニ茶、ノニ石鹸を役立てて欲しい。

 青春時代  老年時代


文責:安曇野の孤独な人

 


著作権はブアメラ研究会に属し 無断複製を禁じます。 2006年12月。最終更新日:2016年11月08日